現役ライダー続行中

趣味のバイクや日常の出来事を書いていきます。

モトクロス 回顧録 第一期 1977~1988

コロナウィルスによる「緊急事態宣言」

不要な外出の自粛、3密状態を避けろ

ツーリングは不要な外出になるのか?

 

ということで、今回も過去ネタになります。

最初は、モトクロスを始めたキッカケからです。

16歳の誕生日を迎えると直ぐに中型自動二輪免許(現普通二輪免許)を取得し、親に買ってもらったホンダCB360Tで、普段の足、休みの日はツーリングとバイクライフを楽しんでいました。

時代は、この後に到来する空前のバイクブーム80年代に向かって二輪産業は右肩上がりの良き時代でした。

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ヤマハMR50

そんな中、中古のヤマハMR50を手に入れて荒川の河川敷でモトクロスの真似事のような事を始めたのが、モトクロスの世界に片足を突っ込むことになるキッカケでした。

MR50(兄弟車にRD50TY50あり)最高出力6PSでメーター読みで80km/h位出ました。

河原で、ちょっとしたコブでジャンプして前後タイヤが地上から少し離れただけでも感激したものです。

半年くらい、モトクロス真似事をしていましたが、整備知識もろくになくエンジンのスタットボルトをねじ切ったりして、スクラップとなりました。

そして、モトクロス専用のバイクで走ってる人を見て、速~ 乗りてェ~ 

となっていく訳です。

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CR125M3

77ホンダCR125M3

上の画像、江戸川河川敷流山のコース、1977年型ホンダCR125M3です。

時代を感じさせる、半キャップヘルメット、エルシノアトレーナーです。

ガソリンスタンドでバイトして貯めたお金で新車購入しました。

高校生で、普通免許もトランポ無かったのですが、自宅から荒川河川敷まで近かったこともあり、河川敷まで押して、後は上流や下流にあるコースまで乗って行きました。

当時は、墨田区葛飾区の河川敷に練習できるコースがあり、騒音等の苦情も少なかった良き時代でしたね。

CR125M3は、アップチャンバー主流になりつつある中で最後のダウンチャンバーモデルでした。空冷エンジンの最高出力は24PSだったかな。

とてもピーキーなエンジンで、パワーバンドに入ると面白いようにウイリーしました。

ディスクブレーキも水冷エンジンも無い時代で、唯一のモノサスはヤマハモノクロスサスペンション(リンク機構なし)だけでした。

 1978年スズキワークス渡辺明さんが、世界GP125チャンピオンとなり、当時の日本のモトクロスは世界レベルでした。

この後、スーパークロスがアメリカから入ってくるまでは。

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左80年型ホンダCR80R、右80年型カワサキKX80

80ホンダCR80R   80カワサキKX80

上の画像は、荒川河川敷(葛飾区側)、当時はこのようなコースが存在しました。

CR80Rは、練習用に使用、KX80は、弟所有でしたが、借りて草レースに何戦かエントリーしました。

CR80Rは、身長163cmと小柄な私が乗っても窮屈なポジションで、更に前後サスもダメダメでした。

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成田(多古)にあったコース、草レースのスタート前

上の画像は、今の成田のコースとは違う場所にあった成田のコースです。

大人が乗るには、今の85と比べると小さいく無理なポジションだった。

スターティングマシンは、まだ主流ではなくヘッドタッチスタートが多かった。

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富士スピードウェイ内のコース、81CR125Rと初トランポのサニートラック

81ホンダCR125R

80年代当初、富士スピードウェイのモトクロスコース走行料は格安でした。

たしか、2000円しなかったと記憶してます。

ニートラック、新車が70万円代で買えた時代でした。

ホンダ81CR125Rも新車で購入、この頃のモトクロッサーって1馬力1万円って感じでした。

たしか、30万円位、最高出力も30PSくらいでした。

ちなみに、このニートラックですが、早朝の交差点信号待ちで居眠り運転の車に追突されてアコーディオン状態になり全損しました。

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1982年夏、岩手県玉山村にあった特設コース

上の画像は、お盆休みに、先輩の田舎の岩手に遊びに行った時のものです。

同じ仕事場にモトクロス仲間が3人もいるという、今では考えなれない時代でした。

81年型ホンダCR125Rは、ホンダ市販モトクロッサー初の水冷、モノサスが売り物でしたが、出来は良いとは言えず、特にリヤサスペンションのセッティングには苦労しました。わずか1年でフルモデルチェンジしました。

このCR125RでMFJノービス(現NB)への挑戦が始まりました。

時代は、空前のモトクロスブーム到来

桶川の関東選手権ノービス125クラス予選12組参加台数300台以上

上位3位までしか決勝にでられない、おまけのB決勝、C決勝あり。

レース結果は、散々なものでレースにエントリーするレベルでないと分かり、練習に専念することになりました。

たいして速くないわりに、フレームやスイングアームにクラックが入り、1年で乗り換えることになりました。

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1982年 桶川 関東選手権 ノービス125㏄クラス

82スズキRM125

世界チャンピオンの渡辺明さんの影響もあり、ホンダからスズキに乗り換えることに。

バッタの足のような独特の形状のフルフロータサスペンション、前後サスはソフト気味でしたが、ノービスの私には路面追従性とか丁度良く、81CR125Rから比べると格段に乗り安かった。ただ、絶対的なパワーは他メーカー負けていたような。

 練習の成果も少しづつ表れてきたようで、成田の関東選手権予選で5位でギリ決勝進出し、決勝9位でポイントゲット、他にも県大会(ノービスは予選2~3組)でちびちびポイントゲットしたものの昇格の20ポイントには至らず。

当時、1回優勝すれば20ポイントで昇格でしたが、台数は多いし、上位入賞の人は、ほぼ決まっているのでポイント稼ぎは至難でした。

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左82RM125 右84RM125

82年の後楽園日本初上陸のスーパークロス見に行きました。

衝撃でした。

連続ジャンプ、JT Racing USA 、アクションジャンプ、リックジョンソン優勝

日本のモトクロス会に多大な影響を与えました。

私も愛用ウェアーはJTと決めましたが、当時なかなか手に入らなかった。

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84RM125と二台目のトランポのサニーバネット

上の画像は、利根川にあったコースだったかな。

84スズキRM125

84年でフルモデルチェンジしました。しかし、前後ドラムブレーキ、排気デバイス無し、ボトムリンクでないフルフローターサスペンション等、他メーカーより装備は若干遅れていたかな。ただ、スズキ党だったので迷わず購入しました。

後に、84CR125R84CR250Rに乗せてもらう機会があり、ホンダの方が乗りやすく、実際に速く走ることができた。RMは、排気デバイスが無いので、完全な高回転向きでした。

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84RM125 利根川のコース

85年~87年頃にかけて、仕事の関係とかもあり、関東選手権や県大会はスポット参戦しかできなかった。

昇格は無理でしたが、モトクロス自体は楽しかったので練習はしてました。

85RM125も中古で購入、84RMとの違いは前輪ディスクブレーキくらいでお互い部品取として使えた。

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88RM250

88スズキRM250

77年のCR125M以来、主に125ccに乗ってきましたが、250の方がトルクがあって乗りやすい、楽だなどの意見もあり、250ccに乗れば速く走れるかな(根拠のない妄想)もあったりして、初の250cc購入となりました。

しかし、仕事が忙しくなり、練習時間も少なくなり、成果も上がらず。

また、仕事に影響を与える怪我をしてしまったこのもあり、モチベーションは低下

翌89年で、モトクロス活動を一時中止することとなりました。

この88RM250は売らずに保管しておいたので、後の95年に復活することになります。

モトクロス以外の事をしてみたくなった。

トランポ以外、初の四輪車購入ホンダCRXsiなどもありますが、相変わらずバイク人生は継続で林道ツーリングキャンプツーリング、新たに釣りキューバダイビングを始めたりしました。

モトクロス 回顧録 第一期 を終わります。